ポートレイト
黒岩義五郎
黒岩 義之
1,2,3,4,5,6
1横浜市立大学
2財務省診療所
3帝京大学・脳卒中センター
4東京都医学総合研究所
5日本自律神経学会
6冲中記念成人病研究所
pp.949-956
発行日 2017年8月1日
Published Date 2017/8/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1416200847
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Ⅰ.経歴
私の父,黒岩義五郎(くろいわ・よしごろう;1922-1988)(Fig. 1)は1922年6月23日に浅間山の麓,群馬県の吾妻郡嬬恋村にて黒岩博五郎の長男として出生した。黒岩義五郎は,1939年3月に東京府立第五中学校(現・東京都立小石川中等教育学校)を4年で修了,現役で第一高等学校に入学した。1942年3月に第一高等学校の理科乙類を卒業し,東京帝国大学医学部医学科に1942年4月に入学,1945年9月に卒業した。
卒業後は,直ちに1945年10月に坂口康蔵(さかぐち・こうぞう;1885-1961)教授が主宰する東京帝国大学医学部第三内科に副手として入局,翌年,坂口教授の後任となられた冲中重雄(おきなか・しげお;1902-1992)教授の弟子となった。1948年10月に東京大学大学院に特別研究生として入学,神経学の道を選んだ。1952年10月19日に東京大学医学博士号を取得した。その学位論文は「視床下部と末梢自律神經系との連絡經路に關する硏究」というタイトルであった(Fig. 2)。冲中重雄先生は呉 建(くれ・けん;1883-1940)先生とともに自律神経系の研究を畢生の仕事とされてきた方であるので,この学位論文の主題は冲中先生の影響が色濃い。
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