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診察術の歴史【最終回】 The Evolution of Physical Diagnosis
ウイリアム・オスラー
William Osler
吉原 幸治郎
2
Gude JK
1
2佐賀医科大学総合診療部
1University of California-San Francisco, Medicine & Community Medicine
pp.554-555
発行日 1994年6月15日
Published Date 1994/6/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1414901214
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ベッドサイド・ティーチングの生みの親
ウィリアム・オスラー(William Osler,1849-1919,図1)は19世紀後半から20世紀前半における最も秀でた臨床医であり,また同時に現在の医学教育システムの根幹をなすベッドサイド・ティーチングを生み出した教育者であった.オスラーは1849年にカナダのボントヘッドに生まれた.父はプロテスタントの牧師であり,彼は9人兄弟の8番目の子供であった.モントリオールのマギル大学医学部を卒業したオスラーは英国留学を経て,同校の生理学講師およびモントリオール総合病院の病理医として働いた.そこで,彼は多くの臨床例を経験するとともに痘瘡や感染性心内膜炎などの研究を行い,35歳の若さでペンシルベニア大学医学部の内科教授に抜擢され,さらに1889年ジョンズ・ホプキンズ大学医学部の創設責任者として招かれた.オスラーは1905年に英国オックスフォード大学へ移るまでの16年間,同校における診療,研究および臨床医学教育に携わり,また従来行われていた講義中心の医学教育を病棟や外来患者をみながら教育を受ける新しいシステムへと変革したのであった1).このベッドサイド・ティーチングを中心とする教育システムはアメリカ国内ばかりでなく世界的に大きな反響を呼び,現在多くの国々で行われている臨床医学教育の基礎を築いた.
マッカラムは"A Student's Impression of Osler"の中でオスラーの病棟回診について次のように述べている2).
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