異端とグローバルスタンダード アメリカ医療はどこへ行くのか?・5
医療の質を管理するのは,自分か,仲間か,患者か,あるいは政府か
森井 大一
1
1エモリー大学公衆衛生大学院医療政策&マネジメント学科
pp.418-420
発行日 2013年5月15日
Published Date 2013/5/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1414102853
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プロフェッショナリズムの役割
診察室に入るなり,「熱があるので,点滴を打ってください」という患者がいる.脱水症状もなければ,食事もとれているという.こういった患者を相手にどう診療すればいいのか戸惑ったことのある医者は少なくないだろう.社会学者エヴェレット・ヒューズの格言を聞こう.「ニセ医者とはお客を喜ばせはするが,同業者には嫌がられるものだ」.
『ディア・ドクター』(監督西川美和)という映画がある.医師免許をもたない偽物の医者が山間の村で騒動に巻き込まれる話だが,この映画がおもしろいのは,このニセ医者が村人からとても慕われていることだ.現実の世界にも,医師を騙って捕まる者が時々あるが,そういう者ほど患者の評判が良かったりする.しかもこれはニセ医者ばかりに当てはまることではない(かもしれない).免許はあっても診療の質にかなりのバラツキがあることは,医療者の間ではよく知られた事実だ.しかも,同業者の評価が低い医者にかぎって,患者の評判が良かったりする.度を過ぎたバラツキを許さないための仕組みが必要だ.問題は,どうやって? 誰が? である.ヒューズの言葉をやや極端に解釈すれば,「専門家は専門家が縛るのがよい」という原則に思いあたる.これをプロフェッショナリズムと呼ぶ.プロフェッショナリズムには,大きく分けて2つの形態がある.1つは,医師の免許制度を通した公的なプロフェッショナリズム.もう1つは,個人または職能集団による内発的なプロフェッショナリズム.医師のプロフェッショナリズムについて,アメリカでの1つの見方を紹介しよう.
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