Editorial
2011年3月の出来事―大震災と小児用ワクチン死亡報道と
伊藤 澄信
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1国立病院機構本部総合研究センター臨床研究統括部・治験研究部
pp.337
発行日 2011年5月15日
Published Date 2011/5/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1414102163
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3月11日14時26分に起こった東日本大震災を,私は日比谷公園内の松本楼という古い建物の4階で会議中に経験した.結婚式用の神棚が迫ってきて,荷物をそのままにして建物の外に逃げ出した.東京は電車が止まって,3時間かけて歩いて職場まで帰ったが,都市機能の脆さを体感した.多くの職員が帰宅困難となり,職場で1泊することになった.
国立病院機構では3月15日から4月14日までの間に宮城県に27班,岩手県に38班の医療班,福島県に11班の医師・放射線技師のチームを派遣している.私も岩手県の医療班を派遣するコーディネーターのリーダーとして,目黒区の警察発行の緊急車両の認定証を携行し3月14日に東北自動車道を北上した.岩手県の内陸部は大きな被害はなかったが,早朝についた花巻市ではガソリンを求める120台ぐらいの車の列が続く給油所が5カ所ほどあった.この光景は県内いたるところでみられた.津波の被害がひどかった沿岸部は東北自動車道から2時間ほどの距離にある.最初に盛岡の岩手県庁を訪れたが,県庁でさえ衛星携帯を使っての自衛隊や日赤チームからの情報しかなく,支援場所を指示できない状態で,通信手段を失った現代社会の脆さを露呈していた.
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