患者の論理・医者の論理(第9回)
病態生理王国の因果律憲法の下で生きる私たち
尾藤 誠司
1
1国立病院東京医療センター総合診療部
pp.1060-1063
発行日 2003年12月1日
Published Date 2003/12/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1414100762
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【事例】
42歳女性.主婦.約2カ月前,地下鉄に乗っている最中にめまいを感じた.その時は一瞬でよくなったが,その後も主に外出時や疲れた時などに数秒のめまい感を覚えることがしばしばあるため,S病院内科を受診した.フレンツェル眼鏡を使っての眼振検査と聴力検査を行ったが,いずれも異常なし.「めまいの多くは,耳の奥にある平衡感覚をつかさどる器官に,左右のバランスが起きることで生じることが多いのです.今検査をしましたが,はっきりとした異常はないようです」と説明したところ,「それでは私はどこが悪いのですか?」とのこと.「内耳は微妙なバランスで成り立っているので,必ずしも検査で異常になるわけではありません.今日はまず内耳の微少な血流を改善し,機能を回復するお薬を出しておきます」と返答した.さらに,頭部MRIの予約を入れて,診察を終了した.
われわれ医師は,病態生理の従者である.王様である病態生理を主人として,因果律という絶対的な憲法を遵守して生きること,それが医療である.目の前の人に起こっている体の不具合にはすべて原因があるはずであり,それはカラダのメカニズム,もしくはココロのメカニズムとして説明される必要がある.少なくとも,患者と病態生理の言い分が違う場合,後者のいうことを聞くであろう.患者のいうことは胡散臭いが,病態生理はわれわれを裏切ることはない.それは確固として,変化せずに存在するはずのものであるから.
本稿では,医師の意識のヒエラルキーの非常に高い位置に存在している「病態生理」とそれに伴う「因果律」が,医師の行動に与える影響について考えてみたい.
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