日本泌尿器科臨床史・13
日本における尿石成因論の近世史—その3
友吉 唯夫
1
1滋賀医科大学
pp.350-351
発行日 1992年4月20日
Published Date 1992/4/20
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1413900579
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18世紀の医学書で,かなりくわしく尿石の成因を論じたものに,宇田川玄隨の『内科撰要』がある.
宇田川玄隨(1755〜1797)(図1)は津山藩医であった宇田川道紀の長男として江戸に生まれ,長じては桂川甫周,杉田玄白,前野良沢を師として医学と蘭学を学んだ,医師となると槐園を号とし,逸材として注目されていたが,桂川は自分の所有していたJohannesde Gorterの内科書(1744年版)を宇田川に翻訳するよう奨めた.それまで翻訳されていたオランダの医書は解剖学と外科学が中心であって,内科書というのはなかった.したがって,その翻訳は画期的なことであった.内科書の翻訳が遅れていたのは,解剖学や外科学の書物と異なって文字ばかりの構成であり,その当時の日本人の語学力では相当の困難があったためと思われる.
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