教室だより
慶応義塾大学
尾関
1
1慶応義塾大学
pp.241-242
発行日 1969年3月20日
Published Date 1969/3/20
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1413200645
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皮膚泌尿器科教室として創設されたのは大正9年(1920年)である。開設に先立つて笹川三男三講帥を中心に8名の助手が初会合を行なつたのが同年6月16日であつた。この日を教室の創立記念日として同窓会である九泥会が現在でもまだ昔をしのび懇親会を催している。実際に診療を始めたのは,同年8月3日である。しかし当初の2年間は教授不在で大正10年4月に笹川三男三講師の皮膚科学講義が開始されたが,泌尿器科に関する講義は外科の木村博助教授が行なつていた。かくて大正11年6月に笹川正男博士が外遊から帰国して教授に就任されるとともに,北川正惇助手が講師翌12年4月助教授となつて漸く教室らしい体制がととのつた。しかし泌尿器科の講義は偶々関東大震災で罹災され講師に就任された阿久津三郎博士が最初である。北川助教授は大正13年に外遊され大正15年1月に教授となり泌尿器科講座が正式に誕生した。その後もなお皮膚科と泌尿器科とは講座としては独立したが教室としては劃然たるけじめはついていなかつた。
北川教授は終戦後病気のため員外教授となり(昭和23年3月1日永眠)昭和21年5月に東京女子医専教授から慶大専門部に転じた田村一先生が泌尿器科教授に就任された。そして皮膚科の横山教授とともに戦災の被害甚大であつた医学部の復興,教室の発展に尽くされた。
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