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和銅五年(712),元明天皇が蝦夷征服のため陸奥から置賜・最上の二郡を割いて出羽国を置きました。その置賜の一部として国府の統治下に入ったのが政治的な米沢の始まりです。文治五年(1189),源頼朝が藤原泰衡を討ったときに泰衡の武将良元が逃れて中津川御成山にこもり大江廣元の次子時廣がこれを征服,その戦功によって長井庄の地頭,さらに長井姓の知行地となり,米沢を190年間治めました。康暦2年(1380),伊達郡の領主伊達宗遠が長井庄を侵略・占領し高畠城を本拠として置賜を鎮撫し,以後,17代・独眼流政宗まで10代210年にわたり置賜地方を領しました。慶長3年(1598),上杉景勝が秀吉の命を受けて越後領国を転じ奥羽会津若松120万石の所領となり,米沢は執政直江兼続により今日の町の基礎づくりが始まりました。慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いで上杉景勝公が西軍に味方したため除封減封大名の対象となり,慶長6年(1601),米沢30万石に減削移封されました。寛文4年(1664),藩主綱勝公の急逝により15万石に削られ,吉良義央の子三郎が養子となり上杉家の家名相続をしました。藩財政の救いようもない窮乏期に9代藩主となったのが治憲(鷹山公)です。宝暦元年(1751),日向高鍋藩主秋月種美の次男として江戸に生まれ,数々の功績を残しました。明治22年(1889)には市町村制の実施とともに,米沢は南置賜郡から独立し米沢市が成立しました。昭和28年(1953)から30年(1955)にかけて町村合併促進法により米沢市もその範囲を広げ,現在の規模になりました。人口は9万5千人です。山形県最南部に位置し,市街地は海抜240~260m,東に奥羽山脈,南は吾妻連峰,西に飯豊連峰と2千メートル級の山々に囲まれた盆地です。面積は548km2と広く,南北に28km,東西は32kmあります。
当院は,米沢市と東南置賜2郡により昭和13年6月に53床で開院しました。経営は昭和18年12月に山形県農業会に,昭和23年8月には山形県厚生農業協同組合連合会に引き継がれ,昭和26年9月,山形県医療機関審議会より県南地域の中央病院に指定,昭和33年4月に米沢市立総合病院として発足(237床),昭和40年5月に相生町(現在地)に移転,昭和40年6月に米沢市立病院に改称,泌尿器科を新設,昭和49年4月に人工透析室を増設しました。平成12年5月15日より日本病院機能評価機構の認定病院となりました。現在,一般病棟349床,神経・精神科76床,診療科目20科,医師数54名(研修医5名を含む)の急性期病院です。外来診療・各種検査のインターネット予約や登録医との共有ベッドなどで病診・病病連携を強める一方,救急隊と救急担当医間のホットライン体制や院内勉強会の地域への公開など地域医療の中核を担っています。また現在,地域支援病院を目指し紹介率・逆紹介率のアップ中で,入院治療計画の50~70%を目標にパス化を推進しています。なお,臨床研修病院指定(管理型),日本泌尿器科学会専門医教育施設認定,日本透析医学会教育関連施設認定などを受け研修体制を整えています。
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