Derm.'99
節分草
宇谷 厚志
1
1千葉大学皮膚科
pp.116
発行日 1999年4月15日
Published Date 1999/4/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1412902870
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2月の初旬,山陰地方に帰省した.めずらしく雪が積もり,町の赤い屋根瓦は白くおおわれた.窓の外の積もった雪を見ていたら,ふと,可憐な花が目に入った.母は,「ここいらで寒芍薬と言うこともある,節分草だわ」と教えてくれた.寒椿に飽いたころ,そっと咲く白い花で冬の暗い気分を和ませるという.あの「立てば芍薬,座れば牡丹,歩く姿は百合の花」の芍薬の仲間らしい.この言葉どおりの女性を見たことがないのが残念だが,おそらく皆が息をのむほどの人であろう.昔の銀幕のスター,たとえば原節Fさんなどが類型に入るかもしれない.
大学の職員になって1年半が経とうしている.それまでは福井日赤病院の部長だったので,病気を治すことと売り上げを延ばすことに集中していたし,この二つは相乗的でもある.大学では,臨床,研究,教育などに情熱をもち,かつ実績をだすことが要求される.時にこれらは相反する性質をもつ.而して,すべてに中途半端になるという落し穴が待っている.全部が無理なら「一この分野だけは」という選択を人はする.私は芍薬でいい,牡丹,百合にはならない.きわめて健全な精神活動であり,人はこうして生きていくものである.どういうふうに選択するかは自分の描いてきた医者の姿によって左右される.あらまほしい姿は先輩,同僚,後輩などの仕事,生き方を実際に見ることでのみ具体的になる.各病院,大学の特色がこういう具合に伝統により出来あがっているように思う.ただし,医師として病気を治すという社会的使命を担っているわけだから,そのための情熱は持ち続ける必要がある.望むらくは,「立てば芍薬,座れば牡丹のつぼみ,歩く姿は百合のつぼみ」というところか.
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