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鴨川に掛る幾多の橋の中で,私の格別好きな橋は荒神橋である.丸太町と今出川の間にある何の変哲もない石橋だが,河原町詰から渡るとき,まず比叡山を背景に京大の時計台が見え,中途まで来ると,はるかに北山が望める.大学に入って京都に住むようになり,はじめてこの橋を渡ったときから,いっぺんに荒神橋が気に入ってしまった.それ以来,学生時代のデートの待ち合わせに通いつめたジャズ喫茶へ行くときも,研究するようになってから,実験の合い間にドーナッツを食べに行くときも好んで荒神橋を渡った.仕事がうまくいかなくて気が滅入りそうなときも,研究室から一番近いこの橋まで来て,山なみや川の流れを見ると気分が晴れたものだった.荒神橋以外にも,吉田山裏の真如堂や西賀茂の正伝寺など有名ではないが私には大切ないくつかの場所があって,よく足を運んだ.正伝寺の庭を見ながら思いついたアイディアの実験もあれば(結局うまくいかなかったが),真如堂に行くと必ず思い出す自分の論文もある.それぞれに点綴された思い出が凝縮され,自分の仕事も私生活も京都の街が大きく包んできてくれた気がする.東京や大阪などの大都会に住む人には申し訳ないが,京都では満員電車にゆられて疲れることもないので大学に着いたらすぐに実験を始められる.実験に疲れれば,歩いて行ける範囲に心安らぐ場所がある.こう書いて来ると,悪しき京都人の閉鎖的な感覚と嗤われそうだが,静岡の高校を出て以来,20年も当地に住みつくと,京都の風物が研究を育むというのが実感として理解できる.京都を離れ,満員電車で通勤するようになってはじめて恵まれた研究環境だったことに気がついた.どんな都市にも,それぞれ特有の包容力があって,研究者も無意識のうちにその恩恵に浴しているのだろうが,京都にもやはりそれがある.学会や情報の中心は日本の場合東京なので,いつも東京を指向して研究すべきとは思うが,実際東京へ行くと人いきれで疲れてしまう.上京のたびに要する片道3時間の時間と費用は,在京の人に比べると不利だが,京都に依拠した生活に馴染んでしまっているので仕方がない.関西では,京都で学んで,大阪で仕事をし,神戸に住むのが理想とされるが,将来,どこへ移り住むことになろうとも,その土地に馴化し,京都で学んだのと同じような環境に包まれて臨床研究を続けられたらいいなと思う.
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