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医学部卒業後,研究や留学で数年間母校を離れたが,それ以外ずっと母校にいる.学生時代は「母校愛」という言葉とは無縁に過ごした.母校愛という言葉を意識するようになったのは,大学院時代と留学時代と記憶している.大学院進学など全く考えていなかったが,当時のボスから「大学院へ進んで博士号を取得し,その後も母校に残り医学発展に寄与してほしい」と言われた.学位取得後,学内の留学対象者向けの研究助成給付制度に応募したところ運良く獲得した.当時偶然医学部長とすれ違った際御礼を述べると「先生は母校にとって大切な人間だから,母校のためにも研究留学を頑張ってほしい」と言われた.恐らくこの2人の言葉が後に母校のために何かできればと思うきっかけとなった.
留学から帰国後,医局長を約4年間経験した.医局長時代は女性医師の結婚,出産,育児という人生のライフイベント最盛期で,女性医師の働きやすい環境とは何かスタッフ一同試行錯誤しながら少しずつ整備した.医局長を終える頃,日本皮膚科学会東京支部のキャリア支援協力委員を任され,皮膚科医全体のキャリア支援について考えはじめた.皮膚科は女性医師が多く,男女共同参画については早期から取り組んでいる.しかし実際には大学勤務医はもとより常勤医として働いている女性医師が少ないのが現実だ.皮膚科医になるまで性別を意識したことはあまりなかったが,年齢を重ねるたびに,いろいろなキャリアを重ねるたびに,その現実と向き合う場面が増えたと思う.世間では「ダイバーシティ」という言葉がもてはやされ,その言葉だけが独り歩きしているように思え,皮膚科医にとって本当の意味でのダイバーシティとはいったい何だろうと考えてしまう.いつの日か男女問わず輝いて働ける環境が増えることを期待している.そのためにはわれわれ大学常勤医が後進の育成はもちろん,われわれ自身が楽しく働くことが大切だ.ピンチはチャンス!である.
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