Japanese
English
- 有料閲覧
- Abstract 文献概要
- 1ページ目 Look Inside
Ⅰ、癌前駆症?
われわれ臨床医は,"癌前駆症"・"前癌状態"・"前癌症"・"前癌性皮膚疾患",などの言葉を同義語として使つているが,これらはすべて,「癌に先行し,その領域に一定の規則をもつて癌が発生するところの皮膚疾患」をPräkanzeroseの定義としたDubreuilh1)によつているものである。Ellerら2)の定義,すなわち「他の皮膚疾患や一見健康な皮膚におけるよりも,より頻繁に癌のあらわれる皮膚疾患」もDubreuilhのそれからはみでたものではない。これらの定義に基づいて,慢性X線皮膚炎,日光性角化症,砒素角化症,色素性乾皮症などの皮膚疾患を診て癌前駆症と診断し,それぞれに対する治療を行なうことは,われわれ臨床医の仕事である。しかし,一歩すすんで,これらの前癌性皮膚疾患を構成する組織または,細胞と,それと場を同じくして発生した癌細胞との因果関係を考えてみるとき,臨床統計的な立場よりなされた上記のPräkanzeroseの定義──ないし,概念からは何の解答も得られないことに気付くのである。われわれ臨床医でも慢性X線皮膚炎からは,何故,より頻繁に癌が発生するのであろうかとの疑問をもつてよいはずである。
一方,組織学的な立場よりなされたLund3)による癌前駆症の定義は,①正常細胞から癌細胞へ転化する過程,あるいは,その病変の総称,②不完全な癌細胞をもつ皮膚病変,である。この定義はDubreuilh1)やEllerら2)の定義とは独立したものとするのが妥当であるにもかかわらず,われわれ臨床医はしばしば混肴して考えがちである。これが誤りに導いて癌前駆症の理解を妨げたことは勿論のこと,むしろ,前癌性皮膚疾患に対して,"何故"という疑問を懐かせなかつた点にその罪が大きい。なるほど,in vitroにおいて,細胞にX線を照射することによつて癌性細胞化せしめ得ることから4),X線照射は発癌性因子の1つであると断定はできても,in vivoにおいては,X線照射のもつ発癌性作用は,ただ表皮細胞に対する直接的な影響のみによるものと断定することは困難である。いいかえれば,慢性X線皮膚炎において,表皮細胞がX線照射によつて脱酵素,脱分化をきたし,長い経過を経てついに癌転化(不可逆的な変異をもつ細胞)することも考えられようが,それよりも,血管,神経を含む真皮の病変が表皮細胞を癌性転化せしめるに必要な1次的因子となる可能性もある。この両者の発癌性因子はともにX線照射によるものではあるが,癌性転化をする表皮細胞を中心に考えれば,前者ではX線照射が直接に発癌性因子になつているのに反し,後者では真皮の病変が1次的な発癌性因子となつている。このことは,真皮の病変がX線照射によつてできたものでなくても,真皮の病変が発癌性因子となりうることを示唆しており,癌の発生に重要な場の概念が提起されることにもなる。この場,および,前癌性皮膚病巣における癌の組織発生を考えれば,癌前駆症などの用語よりも発癌性皮膚病巣6)carcinogenic skin lesionの方がよりよい表現である。
Copyright © 1970, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.