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「次回から,ラボのミーティングはドイツ語でしよう!」と,声高らかにProf. Bloomeは英語で,そして次にドイツ語で叫んだ.1989年秋,場所はカリフォルニア州スタンフォード大学医学部の骨髄移植グループの研究室,私を含めた10人の研究スタッフは思わず顔を見合わせた.20年来米国に住んでいるドイツ人のProf. Bloomeがそう考えるのも無理のない話で,ラボは彼以外にドイツ人4人,ドイツ系の名字をもつアメリカ人1人,1年前に旧西ドイツのMax-Planck-InstituteのProf. Kleinの推薦でやって来た私,そしてさらに近々もう1人ドイツ人が加わる予定だという.幸い,中国系アメリカ人の2人が猛反対してくれたおかげでこの提案が通ることはなかったが,英語で淡々とミーティングをこなす彼が,ドイツ語になるとまるで舞台で主役を演じているような語り口になることと,この提案が無関係だったとは思えない.自分の研究への情熱をうまくラボの人間に伝えるにはどうしたらよいか?彼の悩みだったのではないだろうか.
当時,スタンフォード大学医学部では毎週のように特別講演があり,国内外の著明な研究者の話を聴くことができた.教授になったばかりの新進気鋭の研究者もいれば,ノーベル賞学者が登場することも珍しくなかったが,いずれもカジュアルな服装で自分の今行っている研究のエッセンスについて,若い研究者や学生を相手に熱っぽく語りかけた.その会場は100人分以下の椅子しかない小さな学生用の講義室で,壁際だけでなく演者の立っているすぐ近くまで座り込んだ人々で埋まり,講演者はさながら未開の地を訪れた伝道師のような存在にみえた.日々,よれよれのGVHDモデルマウスをつくっていた私は,内容の理解はともかくもその雰囲気が大好きで毎回参加していた.そこで聴衆を引きつけるのに大事なことはいかに上手に話をまとめるかではなく,いかに自分の情熱の嵐のなかに聴衆を巻き込むかである,ということを知った.帰国後すぐに,私が最も感動した研究者の一人が日本の学会で講演するというので喜んで参加したところ,前方の席の大半が空席の大きな会場で静かに講演が行われ,あの熱に浮かされたような,一種集団催眠にかかったような講演会の雰囲気はもうなかった.学会の事務局長を何度か努めるにあたり,本当は多くの立ち見の出るような小さめの会場での特別講演を企画したいと思いながら,いまだに実現していない.
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