鏡下咡語
新設杏林大学耳鼻咽喉科発足からの裏話
堤 昌己
1,2
1杏林大学
2耳鼻咽喉科・北野クリニック
pp.702-703
発行日 2004年9月20日
Published Date 2004/9/20
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1411100656
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プロローグ
昭和45年(1970年)のある日,私は学長室に呼ばれた。「都内の三鷹市に新しい大学が出来ることになった。慈恵からもスタッフを出して設立の企画の段階から応援することにした。君が耳鼻科のスタッフとして参加するように」と。当時,慈恵医大の樋口一成学長は私学審議委員会の委員長で医科大学新設認可に深く関与していた。突然のことで私は勿論,主任の高橋良教授も大変驚かれた。文部省への人事申請には,教授城所信五郎,助教授が私,以下慈恵医大の医局員が講師,助手として名を連ねていた。設立が軌道にのった時点で私は再び慈恵医大に復帰できるとのことであったものが,幸か不幸か,それから25年間杏林大学の人となってしまった。これが私の人生の大きな転機でもあった。
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