連載 あのころ あのとき・11
電子顕微鏡による研究のころ
樋渡 正五
1
1防衛医科大学校
pp.1838-1839
発行日 2001年11月15日
Published Date 2001/11/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1410907550
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昭和34年10月,筆者が日本医科大学附属病院の眼科部長兼教授になった時には講師が1人しかいなくて,患者は1日に平均して5人くらいしかいない状態で,噂に勝るひどいものであった。
いろいろと事情を聞き,これではいかぬと思い定めていろいろ改革の手を打った。そして次第に患者の数も少しずつながら増えていった。診療・診察を丁寧にして遺漏なきを期した。こうして一般診療のほうは順調に進んでいき,外来は活発になったが,医局員が1人もいないのがいかにも残念であった。そのうちに同愛記念病院からも2人の医師が来てくれたし,卒業式が終わって数人の医師が医局に入ってきてくれた。筆者はこれらの人々に対しては出来るだけのことを尽くして指導した。有名な映画女優の来診,先天性白内障の患者で外国人が寄贈した金での手術成功例など,大きく新聞で宣伝されたことが重なって,患者も増えてきた。
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