文庫の窓から
謨私篤眼科発蘊
中泉 行史
1
,
中泉 行弘
1
,
斎藤 仁男
1
1研医会
pp.1580-1581
発行日 2001年8月15日
Published Date 2001/8/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1410907472
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天保14年(1843)に和田泰然を佐藤泰然(文化元年,武蔵川崎在,稲城に生まる。幼名を田辺昇太郎。文政5年,田辺庄衛門を名乗り,天保6年,和田泰然と改め,天保14年,佐藤泰然と名乗る。1804〜1872)と改め,江戸薬研堀から下総(現千葉県)佐倉に移住し,同地にわが国の私立病院の魁をなした順天堂を設立し,外科を中心に新術を施し,また,子弟の教育を行った佐藤泰然についてはよく知られているところである。泰然の翻訳眼科書「謨私篤眼科発蘊」を紹介する。
本書は佐藤泰然が和田姓を名乗っていたころ,つまり天保6年(1835)から同14年(1843)の間に訳述し,竹内玄洞(1805〜1880)校によって作成されたとみられ,護私篤(モスト,莫私土,穆斯篤の当て字もある。Georg Friedrich Most,1784〜1832)の「医学百科全書」(Encyklopadie dergesammten med, u.chir.Praxis.蘭訳本はEncyclo—pedisch Woordenboek der practische Genees-HeelenVerloskunde door。正5巻,1835〜1838年,続2巻,1838〜1839年,アムスデルダム,C.G.Sulpke発行)のなかから眼病の部分だけを取り出して訳出されたものと思われる(順天堂史,上巻)と伝えられている。
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