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今年の夏は,恐竜展がブームのようである。映画「ジュラシックパーク」効果もあるのであろうが,子供は(そして恐らく大人も)理屈抜きに恐竜にひかれるものがあるのであろう。かく言う筆者も恐竜に関する話は嫌いではないが,ただし白亜紀の恐竜としての発達の極に達したもの—ティラノサウルス,ブラキオサウルス—などよりは,むしろいまだ恐竜としては発達段階中のジュラ紀のもののほうがなぜか安心して楽しめるのである。ある系統で発達の極に達した物は,確かに最も大きく,強くかつ機能的にも外観的にも華麗でさえあるが,なぜかもはや,あとは没落しかないという,一種のひ弱さが漂っているような気がしてならない。同様のことは人間の造った物にもいえる。先日テレビのニュースか何かで,第二次大戦中に戦いで没した独戦艦ビスマルクの艦体が大西洋で発見されたといっていたが,ビスマルク,そして大和,武蔵などは戦艦としてやはり発達の極に達したもので,大きぐ強くかつ美しかったそうである。しかし,やはりどこかに「満つれば,即ち欠く」の運命を象徴するようなひ弱さを感じるのは,これら戦艦が実戦では既にあまり役立たなかったという歴史を知っているためだからではないと思うのである。やはり,戦艦としてはどでかい煙突が3本位あり(もちろん石炭焚き),主砲塔の配置も変則で,煙突と煙突や艦橋の間にまで配置されている(例えばファン・デァ・タン)1910年頃の弩級艦が一番安心して見ていられるようである。
では,もう一つの人間の造物としての病院施設はどうであろうか。欧米の,特に米国の眼科病院,眼科研究所の施設は,大変に大きく,かつ立派で,「満つれば,即ち欠く」の状態に到っているかは知らないが,日本の,特に筆者の奉職する某国立大附属病院分院の,老朽にして老残かつ老衰の状態とは大違いである。
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