文庫の窓から
施里島私眼科書と施里烏斯眼科全書(1)
中泉 行信
1
,
中泉 行史
1
,
斉藤 仁男
1
1研医会
pp.190-191
発行日 1986年2月15日
Published Date 1986/2/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1410209632
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19世紀の前半ドイツ外科学界の中心的人物と言われたセリウス(Maximilliam Joseph vonChelius−1794〜1876)の著書,いわゆるセリウス外科書(Handbuch der Chirurgie, zum Gebrauchbei seinen Vorlesungen)が1822年〜23年の初版以来1857年までにおよそ8版を重ね,11カ国語以上に翻訳され,ドイツを初め広く流布した教科書であった(順天堂史,上巻87頁)ことは周知の通りである.わが国ではその蘭訳本—Leerbookder Heilkunde naar dezeutigabe vertaaldenvermeerderd door.Pool GJ, Amsterdam,1830〜1832,が佐藤舜海(幼名,竜太郎,諱,尚中,字,泰卿,号舜海,笠翁−1827〜1882)らにより翻訳され,「瘍学全書」として知られる.セリウスは1819年以後,彼の母校であるハイデルベルク大学の外科の正教授をつとめ,同地の外科眼科教室を創始して,その名声を大いに高からしめた人であると伝えられ,眼科学にも大変長じていて,その著,Handbuch der Augenheikunde (2巻)が1839〜44年にスツッツガールトで出されたといわれている.
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