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白山院土当延流眼科書
中泉 行信
1
,
中泉 行史
1
,
斎藤 仁男
1
1研医会
pp.872-873
発行日 1981年5月15日
Published Date 1981/5/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1410208360
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わが国の戦国時代から安土桃山時代にかけては学説より実際の治療を重視したいわゆる実地医術が外科,眼科,産科および小児科等を中心に盛んになった。例えば戦場における負傷者に対する傷の手当などの必要性から金創医(専ら金創の術を行った士,軍陣外科医)がますます多くなった。眼科においても,伝統ある馬嶋流眼科以外にも,治療術そのものにはそれ程大差はないが,わずかの手技,治療法等の相違点をもって一流一派を唱えるものが漸く増して来た。また,この時代には中国(明)朝鮮との交流もあったので,貿易と共に留学僧や商人等の往来もあり,大陸の文化,医術等を直接学んで帰国する者も数を増しつつあった。一方,ポルトガル船が種子島に漂着(1543,一説1542)し,鉄砲を伝え,天文18年(1549)にはヤソ会宣教師ザビエルが鹿児島に渡来し,天主教を伝導する等いわゆる南蛮文化が漸くわが国に入ってきた。
「白山院(陰)土当延流眼科書」には白山院土当延流の起りについて,以下のようにしるしている。
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