文庫の窓から
医学正伝(1)
中泉 行信
1
,
中泉 行史
1
,
斎藤 仁男
1
1研医会
pp.260-261
発行日 1980年2月15日
Published Date 1980/2/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1410208045
- 有料閲覧
- 文献概要
いわゆる中国・金・元医学がわが国に入つてきたのは,およそ室町時代の末期(16世紀の初め頃)で,その端緒を開いた人は田代三喜(名・導道,諱,三喜,字・祖範,号・意足軒,江春庵,日玄,善道,支山人,範翁等,武州越生の人,1465〜1537)である。
三喜は長享元年(1487)23歳の時に国使に従つて渡明し,延べ12年間明に留まり,僧月湖(僧医,明監寺と称し,潤徳斎と号す,享徳2年,明に渡り法を求め,銭塘に住し医を行なう。「全九集」「済陰方」を著わす)に師事して李東垣,朱丹溪の医説を学んで帰国した。また,三喜は虞搏の医説をも承けた。
Copyright © 1980, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.