銀海余滴
輸入眼球による角膜移植の成功
今泉 亀撤
1,2
1岩手医科大学
2国立花巻温泉病院
pp.1381-1383
発行日 1977年11月15日
Published Date 1977/11/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1410207531
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日本においては,自分が死ねば,その肉体は火葬場に運ばれて,焼かれて灰になつてしまうのだから,その死後の眼球を不幸に泣いておられるたくさんの盲目同様の方々に提供することによつて開眼され,その方々は再び光をとり戻して社会人として人のため世のために活動できるようになるのであれば,こんな立派なことはなく,本当の人助けであることは,老若男女を問わず誰方も良く承知のことであると思うが,これが現実の場台になるとそう簡単にはゆかぬ。自分の親兄弟が亡くなつて悲しんでいる時に,その死体から眼球を摘出されること自体がはなはだみじめに思われるし,更には死後も霊魂が残ると信じている仏教上の問題から,眼球がなくなつてあの世に行つたら定めし不自由であろうし,先に行つている親兄弟に会えないだろうと考えると,その遺族の方はやはり,いくら当人が生前に眼球銀行に登録していても,この日本独特の宗教的国民感情から眼球提供を拒な。われわれが盛んに啓蒙解説して,良いこととはわかつていても,他国に比較すると,死後の眼球提供はもちろん,眼球銀行への登録さえ,その数はほとんど増加する傾向がない。結局,いくらわれわれが努力しても日本においては医師の需要にその供給が間に合わないのがこの死後提供の眼球である。
ところが,同じ仏教国でも,無制限に死体眼球が入手できる国がある。それは国民の80%以上が仏教信者で,しかも日本人とはケタはずれの盲信者の多いスリランカ(旧称セイロン)である。
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