銀海余滴
河本重次郎先生の思い出(2)
杉田 正臣
pp.16
発行日 1960年1月15日
Published Date 1960/1/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1410206802
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父から聞いた話
老父が河本先生の左右に侍したのは明治28年から31年の始めまでで,其間の思い出を聴いたまま書いてみると次の通りである。
父ははじめは,伊勢の東政吉氏と2人で先生の自宅の助手をつとめた。当時先生は38,9歳の新進の大家で声望既に隆々たるものであつた。先生は大変謹厳なお方であつたが,時には内緒で浪花節をうなられ,又神楽坂の寄席へ飄然として出かけられることもあつた。寒くなると持病の喘息で弱られるので,大学には朝早くから登校して講義をすませ,雲霞のように押寄せる外来患者を,全部毎日自分で診察していられた。11時頃診察がすむと粗末な人力車にのつて富士見町の自宅に帰られる。食事も早々にすまされて又々雲霞のように集つている患者を片つぱしから診察して,それがすむと手術である。カタラクトの手術も1人や2人は毎日あつて,多い日は4,5人もやられたことがある。包帯をして皆帰される。しかも殆んど1人も化膿したのはなかつた。さて凡ての手術が終ると,お茶が出る。助手も薬局生も一座になつて話がはじまる。大抵毎日世界の大勢を論じ,古今の学者や偉人を品評し,日の暮れるまで快談される。聴く者皆,其博覧強記に驚嘆し乍ら無上の楽しみとしていたという。
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