扉
Pennybacker先生の思い出
千ヶ崎 裕夫
1
1防衛医科大学校,脳神経外科
pp.931-932
発行日 1985年9月10日
Published Date 1985/9/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1436202067
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1983年のクリスマスシーズンが近づいてきた時,何となく不吉な予感がした.毎年Pennybacker先生のクリスマス・カードは船便で送られてくるので,12月早々にも届くのが普通であったが,その年はとうとう年末まで配達されなかった.やがて年が明けて,先生の息子さんより,私の出したクリスマス・カードのお礼と,先生が去る3月27日にスコットランドの自宅で突然亡くなられたことを知らせてきた.享年75歳であった.先生の所に私は1965-67年,ほぼ2年間お世話になっていたが,先生は私にとって単に学問上のことばかりでなく,一人の医師として生涯の師であった.
Joseph Buford Pennybacher先生は1907年アメリカのケンタッキーに生をうけた.祖先はオランダ系という話である.J.P(先生の愛称)はテネシー大学卒業後,英国のエジンバラ大学医学部にすすまれ,以後,英国に帰化された.しかし,長身で格好よく大股ですたすたと歩かれる風姿は西部劇の大スターの風格があった.エジンバラ卒後,1930年,ロンドンのQueen Square国立神経病院で神経学を修めてから,ロンドン大学のSir Hugh Cairnsの下で神経外科医の途を歩まれた.1937年,Cairnsがオックスフォードに神経外科センターを開設するとともに,その第一弟子として仕え,1952年,Cairnsが急逝後,その役をつがれた.
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