談話室
恩師鹿児島茂先生の憶い出(その9)—鹿児島先生の俳句
南 熊太
1
1久留米大学医学部眼科学教室
pp.802-803
発行日 1959年4月15日
Published Date 1959/4/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1410206659
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鹿児島茂先生は,俳号も茂として,即ち鹿児島茂(漢詩とか,書等の時は『寿峰』の号をよく用いられていしまたが,俳号は『茂』でした)として,俳句をよく発表されていました。俳句としては,熊本市内にて,眼科開業の伊藤忠(田々子)氏(熊本医大眼科にて研究,昭和18年,66歳にて,学位受領の篤学の方)及び当時熊本県立第一高等女学校高等科,浜田佐賀衛(坂牛)教授(後の東京学芸大学教授)の指導を受けられていまして俳句雑誌としては『ホトトギス』にも投句されていましたが,多くは,熊本市にて発行されています『阿蘇』に投句されていました。『阿蘇』では,長い間,鹿児島茂,鹿児島田鶴子,南フミ(俳号史子)の3人が揃つて5句投句,5句入選にて揃つて上位を占め,特に,或る時は,此の3人の中の1人が,巻頭になり,或は,他の時は,他の1人が巻頭を占めると言う如き状態が長くつづいたのであつたが,茂先生はじめ,此の3人も,又伊藤忠博士も今は早や故人となつていられるのであります。俳句を通じて,その当時その当時の鹿児島茂先生を憶い出してみたいと思うのであります。
○熊本医大では,昭和5年頃即ち私がまだ学生の頃から毎年秋に教授以下全教職員,事務職員,学生,看護婦等,全員の阿蘇登山が行われていて,学生の時も,鹿児島先生のお伴をして,中嶽に登つたことを覚えているが,昭和9年秋の阿蘇登山は,外輪山の大観峰に登つているがその時の先生の句に次の如きものがあります。
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