集談会物語り
横浜眼科医会史覚書
遠藤 博
pp.1173-1175
発行日 1955年9月15日
Published Date 1955/9/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1410202339
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横浜は今から約1世紀前までは,平子郷と呼ばれた地域の一部で,さゝやかな寒村であつた。黒船が来て,日本の夜明けとなり,この海岸が幕府の応接所に指定され,やがて開港場となり,時代の尖端を切る歴史的舞台となり,国内は勿論のこと世界にまで「ミナト横浜」の名前が発展するようになつた。明治22年に市制が施行され,後2年たつて神奈川区も編入され,漸次,国際都市として発展し,保土ケ谷,戸塚,金沢,鶴見,港北の各区を含有し6大都市の一つとして数えられる様になつた。
今,当時を顧み,殊に明治初期の開業医をみると実に寥々たるもので,その医師も漢法医で,眼科を片手間にする程度であつた。横浜の医界の恩人はヘボン博士とシモンズ博士を先ず上げねばならない。
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