集談会物語り
鹿兒島眼科集談会に就いて
高安 晃
pp.937
発行日 1955年6月15日
Published Date 1955/6/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1410202267
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昭和2年頃現在小倉市で開業されている広石甫博士が鹿児島県立病院眼科部長として赴任された当時は眼科の会らしきものが無かつたので別に名のつくものではないが主として市内眼科開業の樋渡一夫博士,大牟田氏増田氏其他6,7名会合して臨床談をなしつゝ会食した事があつた相です。これは2ヵ月に1回開催された。然し当時は記録がなかつたのです。この様な会合がどの位続いたかは判然しません。(広石博士書信から)
現在の眼科集談会は昭和22年私が鹿児島に来ました頃先輩の楠元康雄博士や当時鹿児島医専の高野三喜雄博士等と御相談して鹿児島眼科集談会と名付け第1回を終戦後に早く出来た仮医師会館で開催され約20名の集りで第1回としては中々の盛会であつた。私が昭和22年12月に鹿児島医専に就任してからは専ら吾眼科教室が幹事となつて,第2回以後の会合の世話をする事になつた。1年の開催回数は2ヵ月に1回とし日眼総会,九州医学会,九州眼科集談会等の開催される月は行わない事にした。会場は大部分大学病院で行つているが時には市立病院,鹿児島県医師会館,等でも行う事もある。会費は第1回から第5回位は年間50円であつたが次第に会員が増加し,費用も物価値上りにより会計困難となり年間100円とした。第25回目(昭27年12月)からは眼科医会が誕生したので其後は集談会と眼科医会とが合同で開催する事になつた。眼科医会の会長は楠元康雄博士である。現在会員総数は66名である。
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