〔Ⅵ〕綜説
昭和20年・21年度銀海展望
中村 康
1
1日本醫科大學
pp.50-54
発行日 1947年4月20日
Published Date 1947/4/20
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1410200181
- 有料閲覧
- 文献概要
- 1ページ目
昭和20年8月15日は私共子孫の終生忘れ得られぬ日本歴史の一大轉換である。建國以來傳へられた歴史の面貌を全く變へる衣かへ期であつた。軍國日本が文化國日本となる爲あらゆる方面に科學の飛躍的進展が求められる時にあたつて此1ケ年間吾々の住む銀海の歩みはどうであつたか。
先づ研究發表機官である眼科雜誌の方面を視る事にする。昭和20年度は1冊の眼科雜誌も出てゐない。昭和16年中央眼科醫報,眼科臨牀醫報,實驗眼科雜誌が合同し綜合眼科雜誌として發刊されて以來4ケ年をけみしたが終戰と共に解體し眼科臨牀醫報が昭和21年2月15日の綜合眼科雜誌を最後として3月15日より獨立し綜合眼科雜誌の號數を追ふて第40卷第1號を發刊し印刷困難な爲め遲れ勝ちながら今日迄に既に1-6號を見るに到つた。中央眼科醫報は其發刊者中村辰之助氏逝つて後繼者なく實驗眼科雜誌は未だ再刊の計畫はない模樣である。日本眼科學會雜誌は季刊の如く3號づゝ合冊し6月,7月,9月と3冊9號を發刊した。何れも20頁に足りぬもので戰前の雜誌とは比較にならぬ薄頁の體裁の惡るいものではあるが論文は亢長でなく言はんとする處を要約してある處は簡にして要を得てゐるとでも言つたら良いであらう。眼科專門雜誌の不足の爲めか眼科方面の研究が眼科外の雜誌に載せられてゐるのが目立つ。
Copyright © 1947, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.