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はじめに
時は今から30数年前,1967(昭和42)年に,第17回日本医学会総会が名古屋市で開催された。その学術講演シンポジウムの主題49で,「グラム陰性桿菌感染症」が取り上げられた。当時,化学療法の開発,普及に伴ういわゆる「菌交代症」として,「グラム陰性桿菌感染症」が全科領域にわたって問題となっていた。
司会は,名古屋市立大学医学部第一外科,柴田清人教授で,眼科領域から新潟大学医学部眼科,三国政吉教授が指名された。参考までに他科領域のシンポジストの氏名を掲げる。基礎研究として桑原章吾(東邦大教授),臨床研究として内科:真下啓明(北大教授),小児科:藤井良知(東大助教授),外科:石山俊次(日大教授),婦人科:青河寛次(京都府立大講師),泌尿器科:石神譲次(神戸大教授),耳鼻科:高須照男(名市大教授),発言者:上田 泰(慈恵医大教授),白羽弥右衞門(大阪市大教授)。いずれも当時の日本感染症学会,日本化学療法学会の重鎮のメンバーであった。
当時,眼科領域では,グラム陰性桿菌といえば緑膿菌による角膜潰瘍が増加の傾向を示して問題となっていた。そこで「緑膿菌性角膜潰瘍」が主題として取り上げられることになった。新潟大学眼科教室では「細菌室グループ」が主体となって,発表準備にとりかかった。まず疫学として,全国眼科診療機関にアンケートを求めて,現況を把握することに努めた。治療実験として,周田茂雄先生が主体となって家兎眼に緑膿菌性角膜潰瘍をつくり,当時初めて登場した抗緑膿菌抗菌薬ゲンタマイシンを用いて,投与方法による発症予防,治療実験が精力的に行われた。医学会総会では三国教授によりそれらの成績が発表されて,多大の成果を収めた。
ここでその発表の概略1)を紹介して,当時の「緑膿菌性角膜潰瘍」の状況を回顧してみたい。
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