連載 あのころ あのとき 30
次の1歩のための仕事
青木 功喜
1
1青木眼科
pp.942-944
発行日 2003年6月15日
Published Date 2003/6/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1410101273
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あのころ:岩手医大を卒業し,母校ではない北大医局に入る際,北大の人に負けないようにしたい,との気持ちがあった。私はインターンのときに岩手県立病院眼科で桐沢門下の浅水逸郎先生から北大眼科の藤山英寿先生の話を聞き,紹介状をもらった。藤山先生も浅水先生もともにトラコーマの研究を行っていた。北大眼科にお世話になったのは,何も母校の今泉亀撤先生がいやであったからではない。とにかく新天地で自分を試したかったからである。
入るとまもなく藤山先生からトラコーマの血清反応というテーマをもらった。最初の仕事にこだわる人とこだわらない人がいるが,私は前者である。藤山先生からは仕事はpositiveな仕事だけでなく,negativeな仕事もきっちりやることがいかに大切かを教わった。私は当時まだトラコーマ患者がいた地方に船と汽車で行き,結膜材料を採取した後,実験室に帰り,毎日毎日,孵化鶏卵の漿尿膜に接種する仕事をしていた。当時抗生物質で雑菌を殺してから接種していたが,この抗生物質の選択がkeyであった。トラコーマの病原体に影響を及ぼさず,雑菌のみを殺すストレプトマイシンが正否を決めたのである。最近ではトラコーマはグラム陰性の細菌とよく似た性状であることがわかってきたが,当時は抗生物質が効くウイルスと信じて仕事をしていた。この時代からトラコーマに効く抗生物質が使われているが,依然耐性菌の存在が証明されておらず,いまだ大きな課題となっている。
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