連載 あのころ あのとき 25
医師への道のり,多くの支え
小林 俊策
1
1山口大学
pp.19-21
発行日 2003年1月15日
Published Date 2003/1/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1410101090
- 有料閲覧
- 文献概要
- 1ページ目
昭和20年8月15日,夏真っ盛りの暑いさなか,私は,当時在学していた中国奉天(現在の瀋陽)にあった満州医科大学(図1)の卒業を9月に控えながら,学生寮の友人達とマージャン卓を囲んで笑いながら楽しんでいた。その時,“ドンドン”とドアがたたかれ,友人の1人がかけこんできた。
「お前たち何をしている! 日本は戦争に敗けたんだぞ」と叫びながらマージャンのテーブルをけりあげた。もちろんパイは大きく飛び散った。
「ここで戦うんだ」,「殺されるかもしれない」と皆で言いあったが,とにもかくにもその夜は何ごともなく過ぎていった。
附属病院は中国国府軍に接収され,出入りが禁じられたので,学生達はその後,満州医科大学の同窓会の先輩たちが市内の所々に作った診療所で全員働かせてもらえることになった。日本人・中国人・朝鮮人・ロシア人と,多くの国籍の患者がつぎつぎとやってくるので,各科で診療の手助けをしながら帰国を待った。奉天から貨物列車でコロ島に行き,船で帰国の途に着いたのは,昭和21年夏であった。
Copyright © 2003, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.