思い出の写真
米軍と戦い,米国に留学するまで
滝 一郎
1
1大阪警察病院
pp.278-279
発行日 1987年4月10日
Published Date 1987/4/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1409207577
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私は大阪に生まれて大阪で育ち,南区の御津小学校,7年制の浪速高校,大阪帝大医学部に学び,昭和16年に繰り上げ卒業した。この間は人生の中でも最も思い出の多い時期であるが,所蔵していたこの当時の写真は,私が戦地にいる間に戦災で灰塵に帰してしまった。戦後,これを気の毒がって大切にしておられた写真を分けて下さった親切な方々がある。ところが,これらの写真は幼年時代のものである。学生時代のさまざまな経験,例えば山岳行,記念祭,軍事教練,医学部二年生の夏,学徒至誠会主催の台湾,フィリピン,内南洋諸島を巡る視察旅行に参加した時の記録があったのにと思うと,大変残念である。しかし,私は産婦人科医の長男として生まれ,かなり自由な学生生活を送らせてもらったから,その思い出を語るとしても,高校二年生の時に親友の松林一民君が春の鹿島槍カクネ里で墜落死した前後の事,昭和14年の学徒至誠会視察旅行で,南方にはその頃既に戦雲がたなびき始めているのを膚で感じたこと以外には,特に皆様の気を引くようなことはないのではなかろうかと思う。
それでは,戦中,戦後の写真はどうか,私は昭和17年1月に海軍軍医中尉に任官し,同期の桜の諸君と共に,館山砲術学校,築地軍医学校で6カ月の訓練を受けた後に,第一艦隊司令部に配属され,当時の旗艦,山城に乗艦勤務することとなった。山城は僚艦と共に横須賀を出港して呉軍港の沖にある柱島泊地に向かった。
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