グラフ
Profile : Prof. H. Martius
pp.441-442
発行日 1960年5月10日
Published Date 1960/5/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1409202195
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Heinrich Martius教授は1885年1月2日に,内科を専攻し,医学的体質説の提唱者であつたFriedrich Martius氏の子息としてBerlinに生れた。教授の医学の経歴はEppendorfの病理学者E.Fränkel及び内科学者Lenhartzについての研究にはじまり,次いでBerlinの外科学者Rinneに師事した。1913年にはOtto V. Franqué教授の主宰するBonnの大学産婦人科に入り,1926年にはGöttingenの産婦人科教授として招聘された。そこで広く世界に知られている産科婦人科の教科書と手術学書とをかいた。その書物はアメリカ,スペイン,イタリー,ユーゴースラビヤ及びトルコ語でも翻訳されており,更にポーランド語にも,翻訳中である。300を越える研究発表を行つているが,尿失禁の手術療法,婦人科の放射線療法,不妊症の療法,その他産婦人科の多方面に亙つている。教授が特に努力したのは,産科と婦人科の分裂を防ぎ,その境界領域にある婦人科的整形外科,婦人科的泌尿科及び産科的小児科を綜合した一科とすることであつた。教授はドイツ及び外国の多数の学会の名誉会員にも推挙されている。1951年にはドイツ婦人科学会の会長として総会にのぞんだ。1954年8月にはGenfに於て国際産科婦人科学会のドイツ及びオーストリヤの代表におされ,その前年にはドイツ国大統領Heussから功労により西ドイツ国の勳賞を受けた。
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