特集 思い出・追悼論文
想い出
清水名譽教授の訃をいたむ
佐久間 兼信
1
1元東京助産女学校
pp.438-439
発行日 1954年8月10日
Published Date 1954/8/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1409201063
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清水由隆君が東京都外の吉祥寺に居住しておられたところへ,戦争末期に私が都区内から吉祥寺へ疎開したので,お互に訪ねあい一層に親交を重ね得ることゝ喜んでいたのも束の間,戦禍はますます険悪とななり吉祥寺にも爆弾がしばしば投下されるようになつて,君は九州へ転住されるに至つた。間もなく原爆が長崎に投下されたときには,君が長崎に居られるような錯覚をおこし誰れよりも第一に君の安否を気ずかつたが,落ちついて考えれば長崎の原爆は佐賀までは及ばないと知り先ず安堵して君の幸福を祈つていた。戦後の混乱でお互の通信も怠り勝ちになつていたが,本年正月には賀状の交換もすみ君の健康を信じていたのに,突然君の訃を知りそれこそ爆弾を受けた様に驚きを感じた。お互に老年ではあるがまだまだ余生のあるべきはずなのにこの計は何という悲しいことか,暗涙禁ずることを得ない。
君は東京大学医学部を私より1年あとの明治39年に卒業されて医化学教室で3年近く研究されて,明治42年9月に東大産婦人科学教室に入られた。学力優秀な上に永らく基礎学を勉強された君の入室を木下教授は深く喜ばれ多大の期待をもつて迎えられ,君のために医化学研究室を新らたに設け教授室を他に転じてそれに宛てられた。いうまでもなく君はその室の主任となり同僚を誘掖啓発したのである。
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