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新生兒に觀たる殆んど全身を被う兒斑について
安武 豊志男
1,2
1東京都立築地産院
2慶應義塾大學醫學部産婦人科教室
pp.478-484
発行日 1949年12月10日
Published Date 1949/12/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1409200289
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緒言
日本人小兒の仙骨尾閭骨部臀部其の他全身各部分に渉り或は胎生時又は生後に發生する皮膚の青色斑紋を詳細に研究したのはBälz (1885)を以て嚆矢とする.Bälzは更に日本人と白人の混血兒にも之を證明し(1900)更に此の青色斑が蒙古人種に特有なものと考え蒙古斑(1901)と命名し人種的象徴とした.足立(1903)は之が猿猴類との比較解剖學的立場から眞皮の深層に於ける色素細胞に由來する事を明かにし此の兒斑が黄色人種に特有なものに非ずして白人種にも亦存する事を藤澤と共に(1903)發見したが其の後之に關する研究相踵ぎ,研究者による命名も區々でPigment—fleck (Grimm) Kreuzfleck (足立)日本小兒固有の母斑(芳賀) Kinderfleck (加藤).初生兒尾閭骨部青斑(山極)初生兒青色斑(土肥)新生兒青色斑(皆見)等と呼ばれ本邦では古く"スレ"(賀川有齋)小兒腰青痕(大牧周西)尾の痣(山田久尾)鬼斑又は鬼捻斑とも云われ印度の梵語醫典Susruta及びNidana中にはtilakala (dunkele Muttermale)及びnikala (dunkle Flecken im Gesicht od.am Korper)とあり俗間種々の傳説的迷信をもつて流行している.
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