視座
「三」のミラクル
信原 克哉
1
1信原病院
pp.625
発行日 1984年6月25日
Published Date 1984/6/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1408908666
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18年ほど前のことだろうか,留学中にしばらくCoventry先生のお宅に厄介になっていたことがある.それ以後数年間,彼の好意でMayo ClinicからProceedingという雑誌が送られてきていたが,その表紙のemblemにいつも心を惹かれていたことを覚えている.それは西洋楯のようなフレームの内にE(教育)とC(臨床),R(研究)の三文字をからませた簡単なものだが,三者が一体となって最高の医療を実践しているMayo Clinicの内容を象徴するにふさわしいもののように思われた。
一方,混乱していたとは言え,当時我国の医学部にも,教育と臨床,それに研究という体制は維持されていた.しかし教育は学生に対するそれを指し,卒後研修や生涯教育は限られた徒弟制度の中でしか受けられなかったし,臨床は医学という錦の御旗のもとで権威的に行われていた.そして研究はもっぱら自己の学位を得るための活力で支えられていた感があった.これらの不協和をかろうじて支えていたのが,医は仁術という社会通念と経済的に貧しかった医師達の善意であったようである.
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