視座
脳の死と人間の生の問題について思うこと
立石 昭夫
1
1帝京大学
pp.1041
発行日 1988年9月25日
Published Date 1988/9/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1408907935
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本年1月の日本医師会生命倫理懇談会の"脳死および臓器移植についての最終報告"の発表以来,脳の死およびこれをもって個体の死と判定する脳死の問題をめぐる議論が多くの識者,マスコミでとり上げられている.我々もこの問題に無関心であるわけにはいかない.たまたま大学の倫理委員会のメンバーとしてこの報告書および関連資料,そしてまたいくつかの論評に目を通す機会があった.本来脳死の問題と臓器移植とは別の問題であるが,今回このような報告書が出されたのは,この二つが重要な関連性を持っているからであることは否定出来ない.
従来人間の死は,心停止,呼吸停止,瞳孔散大,対光反射の消失をもって判定されてきた.そして全脳の死は数分あるいは長くても数時間のうちに確実に心臓死に至るので,これを区別することにそれほど大きな意味がなかった.しかし近年の人工呼吸器を始めとするすぐれた生命維持装置の発達はこれを数日から2週間の程度まで延長することを可能にした.更に将来はこれを数カ月あるいは数年のオーダーにまで延長することを可能にするかもしれない.ここでいわゆる植物状態は脳の死とは区別されなければならない.これは思考,情緒,感覚,運動といった大脳の機能は失われているが,生命維持にかかわる脳幹の機能は完全にあるいは不完全にしろ残存した状態であるからである.
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