整形外科を育てた人達 第30回
Sterling Bunnell(1882-1957)
天児 民和
1
1九州大学
pp.1072-1075
発行日 1985年9月25日
Published Date 1985/9/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1408907259
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終戦直後Sterling Bunnellの名著「Surgery of the Hand」の初版(1944)を読んで皮切から腱の取扱いまで細かく記載されているのに感銘を受けた.この技術は整形外科医には不可欠だと考え,手の手術をする時この書物を参考にしていたが,昭和25年私は新潟から九大に移らねばならなかった.さて九州に移った頃から米国の医学教育視察団が来日し福岡にも来たが,私は団長として来たDetroitにあるWayne大学の外科の教授Johnstonを教室の病棟回診に案内した.その頃はKüntscherの髄内釘を使ったりBunnellの著書を読んで初歩的なhand surgeryを開始した時であったので,少数の手の外傷の入院患者もいた為にJohnstonは興味をもって回診してくれたが,帰米後1年位して手紙で「手の外科の専門家であるHarry Millerが行くからよろしく頼む.今手の外科の学会のあるのは米国とScandinavia諸国と英国の3学会のみである.日本でも手の外科の学会を始めないか」と言って来た.Harry Millerは昭和31年に九州に来た時にMasonの手の手術の映画とBunnellの手紙を持って来た.この手紙には日本にも手の外科を普及すべきで,そのためには学会を開催するのもよいと書いてあった.又その中に,1952年の米国の外傷に対する災害保険の補償金額も記入してあった.総額6億5千万ドルで,件数は1,920,000件,1件当り390ドルに達している.
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