視座
疾患の自家体験に思う
近藤 鋭矢
1,2
1聖ヨゼフ整肢園
2京都大学
pp.811
発行日 1981年9月25日
Published Date 1981/9/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1408906405
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昭和22年4月,終戦後最初の日本外科学会が東京駿河台の日本医師会館で開かれた時,私は「坐骨神経痛」と題して宿題報告を行つたが,その内容は主として椎間板ヘルニアの診断と手術的療法を中心としたものであつた.この頃応召していた教室員は次々と帰つてきたので,ある日曜日,復員した教室員と琵琶湖に大学のボートを出して瀬田川を漕ぎ下つたが,夕方帰途につくころ風が出て波も立つてきたので,力漕しながら艇庫に帰つてきた.その時私はグキッという音と共に腰を痛めてしまい,爾来10数年間頑固な腰痛に苦しめられた.昭和34年4月東京で開催された第15回日本医学会総会から帰宅するや,あくびをしてさえ右坐骨神経に沿つて走る激痛に堪えられなくなつて,早速桐田良人助教授に執刀を頼み,我々が考案した骨形成的部分的椎弓切除術をもつて椎間板ヘルニアを手術してもらつた.私はこうして当時深く研究的興味を注いでいた椎間板ヘルニアにつき10余年にわたつてその症状の推移や疼痛対策を身をもつてつぶさに観察することができた.また沃度油ミエログラフィーによる術後の遺残疼痛についても,その鎮痛法を身をもつて考案して他の患者にそれを伝授した.自分の手術後3年して拙妻が同じく椎間板ヘルニアを起こしたので,私が自ら手術してやり,昭和38年5月私の定年退官の際の最終講義には,拙妻をも講堂に呼び出して学生に供覧しながら椎間板ヘルニア治療の遠隔成績を解説するのに役立てた.
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