視座
医学,いま瞑想の刻
飯野 三郎
1
1東北大学
pp.293
発行日 1976年4月25日
Published Date 1976/4/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1408905329
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医学medicineがしずかなる瞑想meditationを必要とすること,今ほど切実なる刻はないといえるのではなかろうか.今日の医学をもつとも安直な1つの譬喩で表現するならば,いま地球上の空間をびつしり取巻き,さざめき,ブラウン運動にも似て狂い廻るジェツト航空網のごとくであるとでもいいたくなる.一見,輝かしく陽光を裂いて飛ぶ銀翼は,実はひ弱く揺れて危く,ここに無数に打たれた鋲の互いによそよそしい連結を頼みとして,でき得べくんば光速にも近づかんとするスピードと方向性に日夜血道をあげ,終局的に四次元の限界を破砕しようとしているようにさえみえる.そこには,悠々と空を翔びたい,という原始以来の「人間」の暢やかな願望の姿はなく,人はただ犇と楕円形の小窓にしがみついて,専ら大地への安全な着陸を待つている.
早急に「進歩」の一途を辿つてきたここ数十年の人類文明は,いつの間にか肝腎の「人間」をおいてきぼりにして,徒らに無目標的な自己腫大に変貌した感なきを得ない.私は医学もその例外たり得ないような気がしてならないのである.
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