視座
延命努力と苦患総和とのジレンマ
飯野 三郎
1
1東北大学
pp.537
発行日 1974年7月25日
Published Date 1974/7/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1408905013
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人は己れの生命の1日も長からんことを欲する.これは直接人類自体の永劫本能の表われでもある.生れつき生きることの意欲を,意識的にしろ,無意識的にしろ,有しない生物は即日滅びるはずである.人間は自己保存本能でギリギリまで生きて,あとは種族維持本能にまかせて,無限に生殖細胞で生命を引継いで行く.ところが,種族保存すなわち人類永存目的へのバトンタッチを終えた人間でも,自己保存慾は依然として消え失せない.かくして,人は己れの生命の1日でも長からんことを欲する.カマキリの雄のごとく,性行為を終れば直ちに嬉々として雌に食われて,自ら次代の栄養源となるごとき殊勝な種族維持優先派で人間はない.老いも若きもいずれ劣らぬ自己保存優先派である.
ところが一方で,人間にはさまざまな苦患—大ざつぱにいつて,肉体的,精神的な—が与えられており,一層悪いことに文化の進んだものほど,その感知度が高い.この苦患の受けとり方が自己保存本能を凌駕するときに,人は自らを殺しさえする.人間を「自殺し得る動物」とするのは定義付けの行き過ぎであろうが,この苦患感受度と自己保存欲との差引プラス・マイナスは次第に微妙になりつつあるように見える.文化の進歩は,社会的,経済的,個人意識的に苦患の量を相対的に増しつつあるに対し,自己保存欲は生物学的に不変で,ここに生命に対する負の出納への傾向が生じやすいのである.
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