連載 医療の国際化―開発国からの情報発信
海外医療ボランティア活動記(1)
藤塚 光慶
1
,
藤塚 万里子
2
Mitsuyoshi Fujitsuka
1
,
Mariko Fujitsuka
2
1松戸市立病院
2松戸市健康福祉課
pp.1364-1368
発行日 2002年11月25日
Published Date 2002/11/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1408903687
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ケニヤの首都ナイロビからチャーターしたセスナが海のように大きなビクトリア湖の上空を越え,ザイール(現コンゴ共和国)の北の町,ブカブの空港へ到着したのは1994年12月の日差しの強い午後2時頃であった.空港といっても,原っぱに舗装もしていない滑走路が1本あり,その周りで子供たちが遊んでいる囲いも何もない,ただの広場である.ナイロビで買い集めた医薬品,日常品などをセスナから降ろしているあいだに周囲の景色にカメラをむけると「ここは,撮影禁止だ」といっぱしの空港のようなことをいう.カメラをしまおうとすると,「20ドル出せば撮っても良い」という.以後は万事がこの調子であったが,20ドルの価値はないので断った.
原っぱの片隅に馬小屋のようなバラックがあり,そこが税関であった.スーツケースから段ボールまですべて開けて見せるという.ナイロビで合流したT氏が「ハハーン」という顔をして10ドル出すと「OK,通って良い」という.こちらには後ろめたいところはないが,医薬品などにいちゃもんをつけられて没収されたり,また取り戻すのに金がかかったりするので,さっさと通過するに限る.ホッとして“税関”を出ようとすると係官が「コーラ,コーラ」と叫ぶ.どうやら,コーラ代として1ドル,チップをよこせということらしい.こちらは,寄付金などの浄財で活動しているのでこれ以上余計な金は使えない,と聞こえないふりをして外へ出てしまった.
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