連載 医療の国際化 開発国からの情報発信
海外医療ボランティア活動記(4)―クルド その2―スレイマニヤを拠点に
藤塚 光慶
1
,
藤塚 万里子
2
Mitsuyoshi Fujitsuka
1
,
Mariko Fujitsuka
2
1松戸市立病院
2松戸市健康福祉本部
pp.1430-1434
発行日 2003年11月1日
Published Date 2003/11/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1408100875
- 有料閲覧
- 文献概要
- 1ページ目
クルド人難民医療救援のためにクルド人自治区の街,スレイマニヤに着いて3日目になる1993年12月26日は銃撃音も途絶え,静かな1日であった.イスラム過激派がクルド愛国同盟(PUK)に制圧されたようで,町中から兵隊の姿が少なくなり,交通量も増えている.同行のA氏,現地で合流した日本人写真家のH氏,現地NGOのジャミール氏と豆スープ,ナン(パン),チャイ(甘い紅茶)の朝食をすませ,朝8時半に日本製のランドクルーザーで出発しようとしたが,バッテリー(イラン製)があがってしまって,下り坂を押してやっとエンジンがかかった.しばらく走ってからタイヤのパンクを発見し,スペアのタイヤと交換した.またしばらく走ってどうもハンドルがいうことをきかないというので調べたら,なんとスペアタイヤの大きさが違う.少し小さい.それでも何とか修理できる所まで転がしていって「正しい大きさのタイヤ」に取り替えた.このような国では,鉄砲玉よりも,交通事故のほうが危ない.見にくいフロントガラスから前方を凝視し,ツルツルのタイヤで,でこぼこ道を吹っ飛ばす.穴の空いた床から,流れていく道路が見える.遙か向こうにUターンをしているタンクローリーが見えた.こちらの運転手はスピードを緩めない.数十メートル手前で「ストップ!ストップ!」と大声を出しても止めない.やっと急ブレーキをかけて20メートルほどスリップして衝突寸前で止まった.両方の運転手が怒鳴りあっていた.運転手を変えようと思ったが誰でも同じだというのであきらめ,幸運を祈ることにした.
Copyright © 2003, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.