連載 医療の国際化 開発国からの情報発信
海外医療ボランティア活動記(5)―ルワンダ(その1)
藤塚 光慶
1
,
藤塚 万里子
2
Mitsuyoshi Fujitsuka
1
,
Mariko Fujitsuka
2
1松戸市立病院
2松戸市健康福祉本部
pp.188-192
発行日 2004年2月1日
Published Date 2004/2/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1408100374
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植民地政策が民族の対立を生んだ
ルワンダはアフリカ中央部にある人口730万人程の小さな国(長野県の2倍くらいの大きさ)で,赤道直下にあるが,1,000メートル以上の高地なので気候も良く,コーヒーなどが栽培され,アフリカの中では人口密度の最も高い,比較的豊かな国であった.もともとは農耕民族のフツ族が住んでいて,15~17世紀にかけて長身の遊牧民族ツチ族が侵入してきた.
19~20世紀にドイツ,ついで第一次世界大戦中からベルギーがルワンダを植民地とし,植民地政策として少数派ツチ族(9.4%)を優遇し,多数派のフツ族(90.1%)を支配させる構造をつくった.フツ族かツチ族かを記載した身分証を持たせ,厳しい身分差別をし,民族間の対立をあおった.宗主国であるドイツ,ベルギーに直接,反抗されないようにした巧妙な政策であった.これに反抗して,1959~1962年にフツ族が反乱を起こし,ツチ族が1万人以上殺害され,1962年,ルワンダが独立した.ツチ族はウガンダ,ブルンジなど,周辺諸国に流出し,ルワンダ愛国戦線(RPF)を結成した.1972年からブルンジでツチ族がフツ族を10万人以上虐殺した.1990年,RPFがルワンダの首都キガリに侵攻し,内戦状態となった.1993年8月に和平が成立したが,1994年4月にフツ族出身のハビャリマナ大統領の乗った飛行機が撃墜され,これに怒ったフツ族がツチ族を大虐殺した.その数100万人以上といわれた(この間の大虐殺の様や問題については曾野綾子著『部族虐殺』を参照されたい).
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