ついである記・29
Finland
山室 隆夫
1,2
1京都大学
2国際整形災害外科学会
pp.1328-1329
発行日 1998年11月25日
Published Date 1998/11/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1408902575
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私は1994年3月末に京都大学を定年退職した.定年後の人生をどのように過ごすかは大きな課題である.大抵の人達は私学の教授職に就いたり,医師であれば関連病院の病院長職にすんなりと納まって,現職中に慣れ親しんできた職業の延長線上でもう一働きすることを選択する場合が多いが,なかには曾ての自分の専門領域とはまるで違ったことを興味の対象として打ち込んでいく人達もいる.私はたまたま定年の1年前から国際整形災害外科学会(SICOT)の理事長に就任していたので,この学会の大きな活動目標の一つである発展途上国での医学教育の普及のために,極めて頻繁に海外出張をしなければならなかった.したがって,定年後大抵の人達が就くような再就職の選択肢は私には無いに等しかった.それならば,私は自分の体力の続く限り,必要があれば,いつでもどこへでも出かけて,自分のやれることをやってみようという気持ちを固めた.そして,3月末の退職後,すぐ4月中旬には英国へ渡って各地で講演をし,4月末にはモロッコへ行き,5月上旬にはブラッセルにあるSICOTの本部に赴き,さらに7月にはフィンランドとロシアを訪ねて,8月上旬に母親の一回忌を務めるため日本へ帰国した.その私達を待っていたかのように,8月11日には初孫娘が誕生して私の人生に花を添えてくれた.
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