連載 医者も知りたい【医者のはなし】・56
日本整形外科の祖・田代義徳(1864-1938) その2・整形外科誕生
木村 專太郎
1
Sentaro Kimura
1
1木村専太郎クリニック
pp.408-411
発行日 2013年4月25日
Published Date 2013/4/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1408102679
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■はじめに
本誌「臨床整形外科」48巻2号に,日本の整形外科の祖であり,“Die Orthopädie”なるドイツ語に「整形外科」と命名したご本尊である「田代義徳」を書き,今回はその第2回である.非常に名誉なことである.前回は,栃木県足利市の義徳の生家跡に行った写真を掲載した(図1).養父・田代基徳の故郷は豊前(現大分県)中津であり,中津市の村上医家史料館に壊される前の生家の写真(図2)と義徳の写真が展示してあり(図3),村上家12代当主の村上玄兒先生のご好意のもとに,ここに転載できた.基徳の父・松川北渚の住まいは,山国川を渡った現在の福岡県豊前市赤熊にあった.豊前市赤熊は,昔は同じ中津城下だったのであろうが,現在は福岡県である.そのために前号で中津が福岡県と誤って付記されてしまった.お詫びする.今回は義徳が東大医学部を明治21年(1888)に卒業し,東京帝国大学第一医院外科教授ユリウス・スクリバ(Julius Kahl Scriba, 1848~1905)の下で外科の研修を開始したところから始める.
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