連載 医者も知りたい【医者のはなし】・59
医聖・田代三喜(1465~1544)
木村 專太郎
1
Sentaro Kimura
1
1木村専太郎クリニック
pp.1042-1045
発行日 2013年10月25日
Published Date 2013/10/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1408102862
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今回は室町時代に関東の地で活躍し,後に医聖と呼ばれた田代三喜について述べる.彼は1487年に中国・明に渡り12年間滞在して,李東垣と朱丹渓の金・元時代の医学を学び,帰国後に下総(現茨城県の一部)の古河を中心に関八州(関東地方)で医師として活躍した.その後,彼の医学は弟子の曲直瀬道三(1507~1593)によって継承されて京都で花開き,全国に広まっていった.
三喜の前に中国に留学した医師を挙げると,隋時代に恵日と福因(608年),唐時代には栄叡(733年)が渡り,その後に鑑真が来日した.その後,菅原清(803年)と菅原梶成(838年)が唐に渡った.明になり竹田昌慶(1369年)が渡り,三喜の後に坂浄運(1492~1501年)が渡って,「傷寒論」を日本に最初に伝えたと言われている.しかし,最近の研究では,傷寒論は13世紀にすでに日本に伝わっていて,書物に引用されているという.
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