連載 医者も知りたい【医者のはなし】・55
日本整形外科の祖・田代義徳(1864-1938) その1・養父・田代基徳のこと
木村 專太郎
1
Sentaro Kimura
1
1木村専太郎クリニック
pp.158-162
発行日 2013年2月25日
Published Date 2013/2/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1408102608
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■はじめに
本誌「臨床整形外科」に,日本の整形外科の祖であり,“Die Orthopädie”なるドイツ語に「整形外科」と命名したご本尊の「田代義徳」について書く機会を与えられたのは,非常に名誉なことである.古くは新潟大学整形外科名誉教授で日本医史学会の理事長を歴任された蒲原宏先生,私の学生時代の恩師である九州大学整形外科名誉教授で医学史の泰斗,「整形外科を育てた人々」の著者である天児民和先生,そして私の友人である大分県中津医史学の生き字引であり,たくさんの著書を発表している川嶌整形外科理事長・川嶌眞人先生らの有名な整形外科医が,すでに田代義徳の伝記を書かれている.筆者は約9年前から,本誌に「医者も知りたい医者のはなし」を連載しているので,整形外科の生みの親である田代義徳について一度書きたいと思っていた.上記の先生方の著作や他の資料を参考に,義徳の生まれ故郷である栃木県足利市に足をのばし,また義徳の養父・田代基徳の故郷・福岡県中津に行き,基徳の父・松川北渚の住まいがあった福岡県豊前市赤熊を訪れ,そして中津近辺で基徳に関する唯一の医跡が残る中津市内自性寺の北渚を掃苔(図1)した.そして基徳と義徳の親子が並んで眠っている東京都台東区谷中墓地の中にある天王寺墓地のお墓にもお参りした.
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