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■はじめに
華岡青洲は,紀伊国(現・和歌山県)名手の平山で「麻沸散(通仙散)」という麻酔薬を独自に開発して,文化元年(1804)10月13日に,全身麻酔下に乳癌の手術を成功させている.これはアメリカ合衆国東部のボストン市・マサチューセッツ総合病院(MGH)で行われた,ウィリアム・モートンによるエーテルの全身麻酔より約40年早い.この華岡青洲のことが一般に知られたのは,同じく和歌山出身の作家・有吉佐和子が昭和42年(1967)に出版した「華岡青洲の妻」という小説による.小説の中で,母・於継と妻・加恵が競って実験台になる模様が描かれていて,母は恐らく麻酔剤による中毒死,そして加恵は失明してしまう.小説の中では,乳癌の字は,「乳岩」と書かれている.また青洲の乳癌手術録には,「乳巖治験録」と書かれている.小川鼎三によると,癌の字は,11世紀の中国の書物にすでに見られるが,日本では19世紀の半ば,江戸時代の末から多用され始めている.癌の字の病垂れの中の嵒は,「岩」と同じ読みと意味である.
小説「華岡青洲の妻」は,市川雷蔵,若尾文子,高峰秀子らの出演で映画化もされている.その小説の中で,青洲が最初に乳癌手術を全身麻酔下に行ったのは,文化2年(1805)とされていた.最近になって弘前大学麻酔科学名誉教授・松木明知が,藍屋利兵衛の母・患者の勘の出身地,奈良県五条市御堂寺の過去帳の古文書研究から,勘の死亡日が文化2年2月26日であることをつきとめた.そのために手術は文化元年に訂正されている.余談であるが.10月13日は,日本麻酔学会により「麻酔の日」と定められている.
青洲の偉大さは,有効な全身麻酔薬を発見したこと,犬と猫を使って動物実験を行い,さらに母と妻の申し出により,彼は人体実験も行い,そしていろいろの手術器具を考案して乳癌患者の手術を成功させたことである.さらに乳癌だけでなく,刀傷の縫合術,鼡径ヘルニア,膀胱結石,脱疽,痔,腫瘍摘出術など,種々の手術を行ったことが記録に残っている.
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