連載 医者も知りたい【医者のはなし】・43
東大医学部の基礎を創った佐賀の医者 伊東玄朴(1800-1871)
木村 專太郎
1
Sentaro Kimura
1
1木村専太郎クリニック
pp.56-59
発行日 2011年1月25日
Published Date 2011/1/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1408101877
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■まえがき
平成20年(2008)5月7日はお玉ヶ池種痘所誕生日であり,東大医学部誕生150周年記念日であった.前回は,お玉ヶ池種痘所誕生とその発展に貢献した旗本の「川路聖謨」とヤマサ醤油の当主「濱口梧陵」のことを書いた.さて,江戸蘭学医83人の署名と皆から設立金を集め,お玉ヶ池種痘所を発足させた中心人物は,佐賀の医者「伊東玄朴」である.
彼は佐賀の第10代藩主鍋島直正(後の閑叟公)に,恩師シーボルトに習って天保9年(1840)に出版した「牛痘種法論」を,天保14年(1843)に献上し,弘化3年(1846)に欧州から牛痘苗を輸入する「建議書」を藩主に提出した.直正は,長崎在住の佐賀藩医・楢林宗建に連絡して,オランダ商館長に依頼した.佐賀藩は嘉永2年(1849)に輸入した牛痘苗を用いて,牛痘の接種に成功した.その種痘苗が全国に拡がったが,残念なことに天下の江戸だけは,「蘭方禁止令」のために,種痘の普及は20年遅れていた.今回は,その江戸にできた種痘所開設の中心人物である「伊東玄朴」に焦点を当てたい.
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