公衆衛生人国記
佐賀県—佐賀県衛生部の足跡をたどって
石橋 寿
1,2,3
Hisashi ISHIBASHI
1,2,3
1(財)佐賀県総合保健協会
2(財)佐賀県総合保健協会診療所
3前佐賀県保健環境部
pp.203-205
発行日 1989年3月15日
Published Date 1989/3/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1401207897
- 有料閲覧
- 文献概要
- 1ページ目
終戦後の公衆衛生と災害防疫
筆者が九州大学医学部産婦人科教室で研究をしている時,佐賀県の県立性病診療所に来てくれとの話があったので,当時健康を害していたが県衛生部に出向いたところ,衛生部長(一ノ瀬忠行氏)より行政に入ってくれと懇望され,衛生部予防医学課に採用された.当時の衛生部は医務課,予防医学課,公衆衛生課,薬務課の4課制で,医務課長は事務系,予防医学課長,公衆衛生課長は医系,薬務課長は薬系であった.
昭和24年8月採用になり,直ちに災害防疫をさせられびっくりしたものである.防疫必携を片手に災害防疫(水害),飲料水の確保,井戸水の消毒,衛生教育,検病調査,家屋・便所の消毒,疑似患者の掌握,防疫・消毒薬品の確保等,全くもって,産婦人科を志す医師の仕事ではなかった.雨が上がったあと自転車で防疫指導に駆けずり回ったものである.しかし,そこで見たもの,聞いたもので住民に感謝されたことなど全く学生時代に教えられたものでなく,人間最低の生活,難民のような生活(現在のバングラデッシュ水害などの東南アジア水害等と同じ状態)を見て,何かしら防疫技師(伝染病予防法)としての仕事の尊さを見いだしたような気がした.
Copyright © 1989, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.